Beyond the Silence

Sound of Science

手術は見て覚えるものではない、やって覚えるものだ??

今日のお題に頂きました。今日は外科*1の世界について。

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研究者ブログのはずだが、毎度の医療ネタ。こちらのほうが記事にしやすいのもあるし、ラボでの仕事というのは地道な作業の繰り返しで変化や華々しさに欠けるというのもある。 

外科医の世界でも、職人気質よろしく背中を見て学べという文化が跋扈している。いや、跋扈していたというべきか。

その変化はやはり、新臨床研修制度のスタートによる医局制度の崩壊・没落に端を発するのではないか。医師を派遣する医局の力の弱まりとともに病院単位で研修医を集める必要に迫られ、5年も10年も助手や下働きを続けるようなシステムでは人を呼べなくなった。

 

ここで、自分は外科医の端くれであるので、手術の際の助手について簡単に触れたい。

緑色の術衣と手袋を着用し、始めます、の合図とともに執刀開始されるイメージをお持ちの方が多いのではないだろうか。その手術の指揮者であり責任者であるのが術者。通常は経験豊富な医師が担う。手術の種類によるが数人の助手がつく。理想的には、術者に何らかの事情で手術を続行することが困難な事態が生じたときにそれを代行できる人間で構成される。

現実的には、多くの病院においての医師のメンバー構成は、45〜55歳の指導医クラス、35〜45歳の中堅クラス、30歳前後の若手、25歳前後の研修医、という感じであることが多いので、そのメンバーで手術に入ることになる。術者の腕が良いことが第一条件だが、助手の力量も良い手術には不可欠。

緊急時を除き、指導医や専門医が術者もしくは第一助手をつとめる。手術にも様々な難易度があり、高難度のものをのぞいて若手も上級医の指導のもとに執刀することがある。結果だけを考えるなら上級医が全例執刀するべきかもしれないが、それでは後進が育たないので、若手が執刀しても同様の結果が得られる症例の選定も上の人間の大事な仕事。まさに、外科医は患者さんに育てられるのだ。

 

では、およそ何年目くらいから術者として独り立ちするか。これは科によって全く違う。脳や心臓など生命維持にクリティカルな臓器を扱う手術は必然的に経験豊富な術者に限られ、人の多い大学病院などでは重要な手術はごく一部の人間によってなされ、なかなか症例を経験できないケースもあるようだ (症例を求めて海外に武者修行に出るなど)。我々の科は脳と目と歯以外の頸から上全てが守備範囲で様々な疾患を扱うため、目的や難易度に応じて若手も執刀する機会が与えられるのはひとつのアピールポイント。

 

科や施設によって全然違うので一概には言えないのだが、昔は割とどこの科も研修医は極めて安い給料で奴隷のように働かされていた。若手も上から容赦なく降ってくる仕事で忙殺。ブラックジャックによろしくの世界だ。久しぶりに読んでみて思ったけどあれは今の医療情勢ではあり得ない。自分が学生の頃にはかなり環境は改善されていた。

 

いつしか医師の業務は、見て学ぶものから教えてもらえるものに比重が移っていった。これは医療業界だけの変化なのか、それとも新人がゆとり世代、さとり世代と移り変わる世相の変化なのか。おそらく両方なのだと思う。

昔あれほどいた職人気質の先輩も少なくなった。自分も上に指導されつつ下に指導する、中堅の領域に入ってしまっているが、人に教えることの難しさを痛感したものだ。手術が上手な人はすごく簡単そうにやってのけるが、なぜそうできるのかは自分がやってみないとわからない。見て、学んで、やって、学ぶ。その繰り返しである。自分の責任で後輩に任せる度量と教える技術のある医師は大人気*2、自分もそれに近づきたい。全てを実際の患者さんでやっていたのも昔の話で、ご遺体を使ったセミナーや、最近では3Dプリンタで作った臓器モデルを用いての訓練もできる。研究留学から帰国して臨床に復帰したらまたその日々が始まるので、少し楽しみにしているところである。

 

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またiPhoneのカメラ。職場駐車場の屋上から。

*1:広義の外科。手術をする全ての科を含む

*2:さらに出世する人となると本当に一握り